河口の雑記

電波を発信

1ヶ月ぶり

〜今回の格言〜
Att älska, glömma och förlåta är livets tre prövninger.
愛すること、忘れること、そして許すことは人生の三つの試練


 河口です。1ヶ月ぶりですかね。試験とレポートで存在を忘れてました。
 今回の格言はスウェーデン語の格言です。特に「許す」の場面でよく使われるそうです。

 冬休みになって1週間ですが紅茶飲んでバイトして飲み会行ったら終わってました。死ぬしかねぇ。
明日から柏サイエンスキャンプ(宇宙コース)なのでこの生活が変わればいいなぁと思っております。

 ブログのネタ?そんなものはない。

日食小話&紅茶同好会会長引退

〜今回の格言〜
അനുഭവം ഗുരു
訳:経験は教師である。

 河口です。天体物理学演習のテスト(3時間)が終わったのに、明日も来週もレポート……ということでまた現実逃避がてらブログを書きます。
 今回の格言はマラヤーラム語、インドで3000万人くらい話してるメジャー言語ですね。経験からこそ私達はものを知るべきということですね。「人は結局、過去の集合体」と『夜明け前より瑠璃色な』でフィーナ姫が話しておりましたのを思い出します。
 ちなみに、anubhavaṁ guruと発音しますが、どちらもサンスクリット語のअनुभव(発音:anubhav,意味:経験)गुरु(発音:guru,意味:経験)ほぼそのままですね。be動詞みたいなものも使わないので並べるだけで上の文になります。guruというのは現代でもヒンドゥー教の導師を指すので知ってる人もいるかもです。

 前置きが長くなりましたが今回は理系っぽい話がしたいと前回言ったのと、1/6に部分日食があったので日食について小話をします。天文学科だからね。日食は、皆さんご存知かと思いますが、月が太陽を隠すあれです。ここからは日食についての小ネタ2つを箇条書きで書きます。
重力レンズ効果の実験に使われた
 1919年の皆既日食アインシュタイン一般相対性理論の証明に使われました。一般相対性理論は、重力は時空の歪みで、それによって光も重力がある中では曲がって進むという結論を予測します。しかし、重力によって光が歪むという効果は観測しづらいです。なぜなら、身近なレベルの物体では重力の効果が小さすぎて観測不能だし、重力が大きい天体を使おうにも観測対象と観測者の間にある天体の質量は測りにくいという理由からです。質量が正確にわかってる天体として太陽があります(惑星や衛星レベルだと質量が足りない)が、明るすぎて観測対象(≒天体)を見えなくしてしまいます。しかし、皆既日食中ならば、太陽が隠され空が暗くなり、観測対象として星が見えることになります。そうして太陽による重力レンズ効果が観測されました。

②ハイブリッド日食ってご存知?
 金環日食皆既日食っていうのは聞いたことあると思います。つまり、地球の公転軌道や月の衛星軌道というのは楕円軌道なので、見かけの月の大きさや太陽の大きさは日時によって異なります。見かけの月の大きさ>見かけの太陽の大きさなら皆既日食、見かけの月の大きさ<見かけの太陽の大きさなら金環日食となるわけです。今、あえて見かけの月の大きさ=見かけの太陽の大きさというのを外したのは訳があります。日食の見える地域というのは帯状に広がりますが、これは太陽からの光によって写された月の影が動くことに由来します。しかしこの時、地球が(楕円)球体である事で地表と月との距離が時々刻々変わること等が原因で、月の見かけの大きさというのは(太陽に比べ)時間によってある程度変化します。これにより、地球見かけの月の大きさが見かけの太陽の大きさと同じ時(正確に言えば少しだけ月のほうが大きい時)、一部では見かけの月の大きさが見かけの太陽の大きさより大きくなって皆既日食が見えるのですが、別の場所では大きさ関係が逆となり金環日食が見える、というような事があります。これはハイブリッド日食や金環皆既日食と呼ばれています。今後50年で5回、1000年で50回くらいしかないレアなものなので知っとくと面白いかもです。次回は2023年4/20のインドネシアあたり(そこでは皆既)で見られます。

 また、今日はテストのあとに紅茶同好会KUREHAで引き継ぎお茶会があり、2017年11月1日に設立してから続けていた会長をついにやめることになりました。まあTwitterから始めたサークルなのにこんなに大きくアクティブなサークルになるとは思ってなかったです。また、一緒に働いてくれた初期メンバーや幹部の皆さんには本当に感謝しています。次代のメンバーや幹部も是非頑張ってください。

 長くなりましたが以上です〜。次は何書こうかなぁ。

現実逃避 from 量子力学 〜詩〜

〜今回の格言〜
The nere the cherche, the fyrther fro Gode
訳:教会に近づくほど、神からは遠ざかる。

 河口です。あけましておめでとうございます。
 今回の格言は中英語です、なんとなーく読めると思います。このThe 比較級、the 比較級の構文は古英語からあったりする英語特有の表現だったりして……ってそんなことはどうでもいいですね。 意味的には、教会を信じるのではなく、神を信じなさいという感じです。当たり前なんですが、割と心を打たれたので載せてみました。

 さて、2週間ぶりの更新となりました、というのも、詩について書くと言ったんですが正直にわかの私が書けることなくね?ってなってしまったのが主な原因です。まあ、月に2、3回更新位を目指してるのでちょうどいいのかも知れませんね。タイトルの通り、試験からの現実逃避なので早めに終わります。
 
 私自身、宮沢賢治高村光太郎萩原朔太郎中原中也といった近代詩を好みます。本来古文漢文の延長で和歌や漢詩を少し読むくらい(といっても万葉集とかはかなり読んだ)で、近代詩を読み始めたのはサクラノ詩がきっかけなので偏りがあるのはご愛嬌ということで。近代詩はそれまでの文字数縛りを取っ払ったフリースタイルな口語体の詩となっていることが特徴ですね。
 おすすめは結局有名作品となってしまいますが、
宮沢賢治春と修羅
萩原朔太郎「月に吠える」
萩原朔太郎「定本青猫」
高村光太郎「道程」
 などですかね。

 あと最近はなんか外国語の詩を読むことが多いですね。授業ではユディト(Judith、古英語)全部、ニーベルンゲンの歌(Das Nibelungenlied、中高ドイツ語)のごく一部を原点で読みました。Judithは古英語の勉強には良かったと思います。あとプーシキンの青銅の騎士(Медный всадник、ロシア語)を辞書片手に読んでます。それからなぜか自分で仏教の原典のひとつである法句経(ダンマパダ)(Dhammapada、パーリ語)の和訳を読んで、今頑張ってパーリ語で読もうとしています。多分無理だけど。法句経はお経で、韻文で423小節あるという感じなのですが、細かく内容が別れてるため、個人的に詩というカテゴリーに入れてます。
 外国の詩でも現代語訳や英訳なら簡単に読めるので是非是非読んでみてください。個人的には岩波文庫から出てる(国名)名詩選というシリーズがわりと好きです(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国、日本があるはず)。対訳なのでその気になれば辞書と文法書片手に原文も読むことができますし、韻律もちょっと調べればわかる感じになってます(原典いらないよ!って方は微妙かもしれませんが)。まあイタリア詩とかロシア詩とかは出てないのでそこらへんは各自調べる感じですね……。いつかその特集でブログかけたらな〜と思います。

 今日はこの辺で。次回はもうちょい理系っぽい話かオタクっぽい話で書きたい!

 量子力学の試験とレポート、頑張ります……

中身のない話 〜美術〜

〜今回の格言〜
〈光明真言
ओं अमोघ वैरोचन महामुद्रा मणि पद्म ज्वाल प्रवर्त्तय हूं
オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン
〈ご利益〉
五智如来からの光明で、一切の病・罪から開放されます。

 河口です。タスクが一段落したので更新しておきます。(クリスマス明けにテストとレポートはあるけど)
 真言っていいですよね、心が洗われる気がします。知らない人は辛いときに唱えるルーティーンとして如何でしょうか。
 別にブログのためにネタとかも用意してないんで、適当にその場で考えたことじゃべります。
 
 最近、美術と詩に再流行の波が来てます。。特に今まで見たことあったり、読んだことあったりするものを見返してます。そんなこんなで適当に読んだものを紹介します。今回は美術について軽く。
 近現代芸術を最近見直してます。ロシアでマレーヴィチの「黒い四角形」を探してモスクワやサンクトを行ったり来たりしたり、エルミタージュやプーシキン美術館で有名な作品を見たりしてからなんか面白くなって調べたりしました。
 実際にロシアで見たものは
マティス「ダンス」エルミタージュ美術館
ゴーギャン「果実を持つ女」エルミタージュ美術館
マレーヴィチ「黒い四角形」トレチャコフ美術館
ゴッホ「赤い葡萄畑」プーシキン美術館
とかです。個人的にはロシアでの必見です。
 個人的には、一つの作品に向き合う時間を長くとるのが好きですし、おすすめする見方です。美術館という場所の制約上、難しいことではあるんですが……。ずっと眺めてるとその絵のコンテクストが薄れてくる気がして純粋に見れる気がします。やっぱりファーストコンタクトは絵の情報とかが印象に残りますから。
 絵画って絵から何を感じるかなんですよね。完成形をみてコンテクスト抜きに見える何かを捉えようとすることが多分実物を目にしたときの正しい態度だと思います。構図とか色彩とかも考えてて面白いんですが、頭でっかちになりすぎるのも先入観になっちゃう気がします。なんか当たり前のことなんですけど、最近また再認識しました。
 ありきたりのことで中身のある話何もしてないけどこれで終わりです。誰も見てないし多少はね?ムンク展ゆっくり行ける時間あるかなぁ……
 次回は詩についてです。